2015年02月17日
「KANO 海の向こうの甲子園」
民族を越えて夢を追いかけ、決して最後まで諦めなかった...
<あらすじ>
日本統治時代は台湾全島で1校のみしか代表として甲子園に行くことが出来ず、その為に台湾大会で優勝する必要があった。1931年、それを果たす嘉義農林学校野球部の物語。大会前は弱すぎて本土のチームには相手にならないのではと危惧されたが、日本人の近藤兵太郎によるスパルタ式訓練により、守備に長けた日本人、打撃に長けた漢人、韋駄天の如く足の速い高砂族の選手たちが 一致団結し抜群の結束力を見せて逆に相手を投打に圧倒し、快進撃を続け初出場で夏の甲子園大会決勝戦までたどり着く。
地元の嘉義市内ではラジオ中継に熱中し狂喜乱舞する市民たち。そして次第にその魂の篭もった姿勢と素晴らしい強さに本土の野球ファンをも魅了し、応援するファンも増え決勝戦では超満員の観衆が甲子園に詰め掛ける。そして決勝の相手は名門中の名門、中京商業。日本中だけでなく台湾でも大勢のファンが固唾を呑んで見守る中、その試合が始まる。
人と人との信頼関係がなかったらこんな大きな力は生まれなかったと思う。
夢を追いかけ民族間の友好の為情熱を注ぐ監督の姿がとても凛々しく美しく感動させられ台湾好きな私は涙が出るほど嬉しかったです。
映画にも登場した八田與一(大沢たかお)はアジア最大といわれた烏山頭ダム・用水路建設に力を注ぎ56歳で亡くなるまでほぼ全生涯を台湾に住み、台湾のために尽くしました。
嘉南平野は台南市や嘉義市を含む台湾最大の平原です。平原を流れる河川は少なく、しかも急流だったため、水利としてほとんど機能していませんでした。ですから20世紀になるまで嘉南平野はサトウキビすら育ちませんでした。
でも八田與一が建設したダムと1万6000キロにおよぶ網の目のような用水路のおかげで台湾最大の穀倉地に変わったのです。
烏山頭ダムから轟音をたてて躍り出た豊かな水は、嘉南平原に張り巡らされた水路に流れこみ、みるみる一帯を潤しました。当初半信半疑であった農民たちは、眼前を流れる水に「神の恵みだ、天の与え賜うた水だ」と歓喜の声を上げたそうです。
台湾に駐在中数回八田與一のお墓参りに行きましたがお花はいつも耐えることがなく今でも地元農民たちの手で守られています。
台湾人が親日的なのはこんなふうに台湾に寄与した日本人がいたお蔭だと感謝して手を合わせてきました。
王侃流二胡 豊橋教室
喜び、楽しみ、そして哀しみを音にして表現することで心が癒されます。
一緒に二胡の優しい音色に包まれてみませんか。
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教室概要
場所: プラット 穂の国とよはし芸術劇場(豊橋駅直結)
http://toyohashi-at.jp/access/
※午前クラス開講しました。
2月のレッスンは14日&28日、PLAT創造活動室Cです
※二胡レンタルもあります。
どうぞお気楽にお問い合わせください。
molihua77@yahoo.co.jp
王胡会 090-1568-8737
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